2024年6月にデビュー小説『ぬくもりの旋律』を上梓し、現在は2作目の小説を執筆中です。まだまだ小説家としては新人なので、今でも「ほかの作家さんはどんなふうに進めているんだろう?」「事前の取材はどのくらいやっているんだろう?」などと気になってしまうことがあります。
もちろん、その答えは「人それぞれ」だと思いますが、新人ならではのやり方はこれから作家を目指す方々のヒントになるかもしれませんので、この機会に「私の場合」を紹介したいと思います。
小説家デビューまでの経緯
「どのような経緯で小説を書くことになりましたか?」これはインタビューなどでもよく聞かれる質問です。私の場合は、脚本家として所属している作家事務所の社長さんから「小説を書いてみないか?」と言われたことがきっかけでした。
スポーツライターとして(正確にはスポーツを通じて社会貢献活動をするNPOの代表として)スポーツ関連のノンフィクションを1冊書いたことはありましたが、その時点では小説を書いたことは一度もありませんでした。ですので、そう提案した社長さんにとってもある意味大きな賭けだったのではないかと思います(でも、ずっと作家さんをマネジメントしてきた方だからこそ何かしら直感のようなものはあったのかもしれません)
「いつか小説を書いてみたいな」とは思ってはいましたが、こんなに早くそのチャンスが巡って来たことには自分でも驚きました。しかし、このチャンスを逃してはならないと「書きます!」と即答。その翌月、デビュー小説の版元となる河出書房新社さんとの顔合わせとなりました。
出版社さんとの顔合わせから執筆まで
事務所の社長さん立ち合いのもと、初めて河出書房新社の小野寺社長と担当編集者の尾形さんとお会いしたのは、2022年7月のことです。お会いする当日までに登場人物表と簡単なあらすじ(A4で計4枚)を提出していて、それをもとに打ち合わせをすることになっていました。
今でも忘れられないのが、受付まで迎えに来てくださった尾形さんが、会議室に行くまでのエレベーターの中で「プロット、とても面白かったですよ!」と言ってくださったこと。脚本・小説ともに自分が書いたオリジナルのプロットを褒めていただけたのは初めてだったので、それがその後の作家としての大きな自信に繋がりました。

静岡書店大賞授賞式後の懇親会にて、『ぬくもりの旋律』担当編集者の河出書房新社・尾形さんと。顔合わせの時は、まさか一緒に静岡書店大賞を頂けるとは想像もしていませんでした・・・!
プロットを読んでいただいた上で、「ここをもう少し詳しく」「この背景は大事なので詳細に」などのアドバイスをいただき、再度プロットを8月末くらいまでに提出することになりました。プロットの分量について尾形さんから指定があったわけではないですが、結果的にA4サイズ16ページ、文字数にして20,000文字くらいのボリュームになりました。
この時、私は各章を一人称で書くことを想定していたのですが、尾形さんから「一人称的三人称で書いてみてはどうか?」というご提案をいただきました。最初はイメージが湧かなかったのですが、書いてみるとこれがすごくしっくり来る。実は次回作の小説も、同じように「一人称的三人称」で書いています(いずれは一人称に挑戦する時も来るかと思いますが)。
プロットを作成するのと同時進行で、この時点で私が熱心に行っていたのが主人公の娘・奏の持つ「自閉スペクトラム症」の勉強とリサーチです。私はフリーライター、つまり取材者として15年ほど活動してきましたので、リサーチは大好きだし得意でした。当事者への取材、自閉症協会へのヒヤリング、関連書籍を読み漁ることなど、描くにあたってやることは山積みでした。
ただ、長らくスポーツという究極のノンフィクションを扱ってきた私は、どうしても「事実」に引っ張られやすい。フィクションの中でリアリティーとドラマ性のバランスをどうとるかが自分にとっては大きな課題で、そこはフィクションのプロである尾形さんに大いに助けられたところです。また、自閉症を物語の中で扱うにあたっては「誰も傷つけない」ことはいちばんに心がけました。
プロットができ、次のステップに進むころまでの間に私が熟読していたのが、刊行と同時に買った森沢明夫さんの『プロだけが知っている小説の書き方』です。森沢さんは、私がアスリートのマネジメントをしていた20代のころに出会った(当時は)フリーライターさんで、私がマネージャーからフリーライターに転身したころには小説家としてデビューしており、私に文章の書き方を一から教えてくれた師匠(であり、バカ話もできる友人)です。ちなみにこちらの本は、重版祭りの大ベストセラーとなっています!
この本のどこが参考になったかを書いているとそれだけでまた本が一冊書けちゃいそうですが、新人である私にとっていちばん参考になったのは、プロットをどうやって小説の形に生まれ変わらせるかというところでした。この本を読むまでは「プロットを傍ら(頭の中)に置きつつ、真っ新な原稿に一から小説を書こう」と思っていたのですが、森沢さんはプロットそのものに上書きしながら丁寧に肉付けするような形で小説にしていく、ということでした。なるほど、師匠がそう言うなら私もその方法でやってみよう!と思ったわけです。
プロットを小説にする
まず、20,000字のプロットの文章に、少しずつ小説の形にしていくことを意識しながら、詳細を肉付けしていきます。ある程度イメージできているシーンは具体的に、会話などもどんどん加えていきます。結果的に、A4で50ページ、72,000文字のプロット第2稿が出来上がりました。これが2023年2月ごろです。
この長いプロットを作る際のポイントは(森沢さんの本にも書いてありますが)なるべくシーンをしっかり描くこと。これについてはドラマのプロットづくりでもかなり鍛えられていたので、その経験がとても役に立ちました。この時点でシーンをしっかり描いておくと、登場人物の「行動」を描くことができる。それによって、例えば「細かい性格」「おおざっぱ」といったキャラクターの特徴が自分でも再確認できます(そして、当然それは読者にも伝わりやすくなります)。制作の過程においても、編集者さんと小説の最終形のイメージが共有しやすくなりますし、何より小説に生まれ変わらせる執筆の際にとても楽なんです!
この作業には、なんと半年ほどかかってしまいました。というのも、私はこの時期、TBSの深夜の連ドラの脚本執筆(こちらもデビュー作でてんやわんや)を並行していたのと、ちょうどプロ野球のシーズンオフで、自分で運営しているNPOのチャリティーイベントや野球教室などを準備していたからです。もし小説だけに集中していれば、だいたい所要時間としては2~3ヶ月くらいだったかなと思います(言い訳です笑)。
この長~い72,000文字のプロットで、ある程度尾形さんとの細かい確認作業もできました。また、小説の執筆自体も、森沢方式でこの長~いプロットにどんどん肉付けしていく形で行ったので、小説の第1稿を提出するまでの時間は1ヶ月もかかりませんでした。これが2023年3月ごろ。
尾形さんとキャッチボールしながら、その後第2稿を2023年6月、第3稿を2023年8月、第4稿を2023年11月に提出。そして2023年の年末に脱稿しました。実はこの期間(2023年6月~11月)にも連続ドラマを全話書いていたので、その間は私の都合でお待たせすることになってしまいました。ただ、途中で「寝かせる」期間もあったほうが、推敲する際に新鮮な目で取り掛かれるのでプラスに働いたかなとも思っています(言い訳ですね笑)
インタビューで「執筆期間はどのくらいかかりましたか?」とよく聞かれるのですが、『ぬくもりの旋律』の場合、顔合わせから刊行まではちょうど2年です。ただ、その間に2本の連続ドラマが入っていました。現在進行中の次回作の小説も『御上先生』の本打ち(テレビ局での脚本の打ち合わせ)が落ち着くまで待っていただいたので、私は待たせてしまう”遅い作家”です。でも書くのはわりと速くて、筆が進む日は一日に20,000文字くらい書きます。それが唯一、私の強みだと勝手に思っています。笑
いちばん苦労した作業
本を世に送り出すにあたって、私がいちばん苦労したのは「校正」の作業でした。校閲の方から送られてきたエンピツを確認しながら赤字を入れていくのですが、デビュー作の時はここで様々な迷いが生まれてしまいました・・・。
師匠の森沢さんにも、編集の尾形さんにも、だんだん慣れてくるものだと何度も励ましていただきましたが、「この日本語は本当に正しいのか?」「こんなふうに書いて世に出してしまって本当に大丈夫なのか?」という、マリッジブルーならぬ小説家デビューブルー?みたいなものが押し寄せてきてしまい、ゲラが送られてくるたびに吐きそうになっていました(笑)。森沢さんはまったくそんなふうに感じていないみたいなので、慣れなのか性格なのか・・・それは2作目以降に自分がどう感じていくかでわかってくると思います。
私は「執筆」そのものはまったく苦ではないので、その時点では「生みの苦しみって何?」って感じだったのですが、この「校正」の時にまさに苦しみの渦に飲み込まれていました・・・作家さんによっては「執筆のほうがよほど苦しいよ!」という人もいるようですね。
装丁のイラスト案が何よりの励みに
その修行のような苦しい期間、励みになったのは同時進行していた装丁の制作でした。この頃、わじまやさほさんが手掛けてくださったカバーのイラスト案をパソコンで見ては「あともう少しだ!頑張ろう!」と奮起していた記憶があります。。。
ブックデザイナーさんとイラストレーターさんは、尾形さんが何人かお勧めの方を選んでくださって、その中から私が希望をお伝えさせていただきました。わじまやさんのイラストはほぼ一目惚れでした。ある程度カバーのイメージをこちらからお伝えすることになったので「21年前の章に出てくる清水の巴川か、富士山が見える竪堀駅がいいです」とだけお伝えしました。水たまりの中に過去の直生と美琴が反射しているのは、わじまやさんと尾形さんのアイデアなのですが、この作品の切なさが表れていて特に好きなところです。
そんなわけで、こんなふうにしてデビュー作をなんとか世に送り出すことができました。とにかく、尾形さんとは何度も会って、小説の内容のアドバイスだけでなく、「プロの作家として必要なこと」もたくさん教えていただいたと感じています。脚本の打ち合わせも同じですが、小説でもとにかく会ってブレストすることが、私の場合はいいアイデアを生み出すきっかけになると強く感じました。
次の作品はまた別の出版社さん、別の編集者さんと進めています。刊行したら、また2作目の経緯などもここに書いていければと思います。
ちなみに、プロとなった今でも迷った時は森沢さんの「プロだけが知っている小説の書き方」を読んでいます。私が小説家として迷いなくスラスラ書けるようになるのはいつのことやら?(そんな日は来ないような気もしますね・・・)
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